日本人役募集中...
映画『賽德克-巴萊』(邦名:『セーダッカ・バライ』)で日本人役(男女)を募集中、但し映画の内容は霧社事件なのでそれを踏まえて振る舞ってほしい。この映画の監督は昨年台湾で空前のヒットだった『海角七號』の魏德聖。
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映画『賽德克-巴萊』(邦名:『セーダッカ・バライ』)で日本人役(男女)を募集中、但し映画の内容は霧社事件なのでそれを踏まえて振る舞ってほしい。この映画の監督は昨年台湾で空前のヒットだった『海角七號』の魏德聖。
<野戦の月>が台北淡水河川原でテント公演「エクソダス」を行ってからちょうど10年が経つ。毎日昼下がりに決まって襲来する暴風とスコールで泥濘と化した土地に足をとられての舞台であった。
公演終了直後、一人の台湾人老夫による「大日本帝国万歳!」という怒号とも賛辞ともつかぬ表現は、テントにいた全員に一瞬の判断停止状態を強いたが、すぐに腹を抱える笑いの受粉に変わった。終幕直後の台湾人老夫の一発によって、「エクソダス」という芝居はテントの場を構成する全員の腑に落ちたのだった。日本の貧しいテント芝居と台湾とを媒介したのである。
かの老夫の乱調は、実はこの地域(東アジアの沿岸地域)の階調を示していたのではないか。近代史の波濤と波食、その乱調を表現し返すことで感受しあえるユーモアがあるとすれば、この海域はある種の階調のうちにあるのである。もしそうなら、表現における協働、共同は可能である。その後<野戦の月>は、台湾人の仲間の参加を得て<野戦之月海筆子>となった。
今年の4月と8月、台湾の海筆子は集団内集団<流民寨>を結成してテント公演「無路可退」を行った。日帝敗北=復興から白色恐怖時代の乱調期に、階調をもって行動した両岸人民をめぐる芝居である。北の台北から南の高雄への移動テントで、日本の野戦メンバーが裏方で参加している。また、今年の8月、日本の野戦メンバーもまた<蒼天空>という集団内集団を作り「八月――蒼穹のウルリム」を公演した。沖縄と朝鮮と日本の女たちの言霊を谺(こだま)が媒介していく詩劇である。
「棄民サルプリ」はこれらの行動・表現と連動して構想された。付け加えれば、来年に中国でのテント公演を準備している<北京テント小組>の動きとも深く関わっている。
棄民――原義はともかくも、現在的には「50年前以上にもっと、立体的に不必要とされている者」――つまり私、という一人称単数は、海の壁をよじのぼって、わたしたちという三人称多数に変じることができるか。あるいは、サルプリ(厄解き)を舞いながら、日本という川の水系に黄海、琉球弧の海を招きいれ、この土地と自身に取り憑いた「乱調」を哄笑高く洗い流せるか。
転生した阿Q、ヘタな魚たちが寄り合って、棄民の物語が始まる。
私の愛する全聯福利中心のCM(でも近くにないので利用したことがない)。台風来襲時は特別版が流れる。
安っぽい作りだがいい味。そしてもう一つ。
中国語がわからないとオチがわかりにくいが、「しまった、土嚢を積む前に行かなくちゃ駄目じゃん」。